2015/07/07 Category : 心のスクワット 名前のない芋虫 (名前のない芋虫がまたあらわれた。)土曜の朝、しめきっていたはずの部屋のカーテンが、なぜかふわりとゆれた瞬間にそう思った。もともと虫が好きでないわたしは、彼らを見るたびにぞっとする。ぬめぬめ光っていて、ぶよぶよした体を不気味にくねらせている。一体どこからやってきて、どこに消えていくのかいまだに分からない。気が付いたら部屋の中に大量繁殖している。はらってもつぶしても消えないそいつらは、ただもうほっておくしかない。それでまた気が付いたら、そんな存在なかったかのように居なくなる。不思議だ。時計は朝の9時をまわった。つい先月までは、朝はやく起きて散歩して、お茶を飲みながら読書をしていた時間だ。でも今はこうして、ただぼんやりと天井の汚れ絵を眺めている。ゆれたようなゆれないようなカーテンを見ている。ちなみにさっきから体中を芋虫にはわれている。じわりじわり蝕まれる感覚は、最初こそ恐ろしかった。パニックになって、「これは大変だ」と、殺虫剤をふっかけようともした。だけど大人になるにつれだんだん慣れてきた。あいかわらず彼らは気持ち悪いし、こんな気分にさせられるのはいやだ。だけど、ときに大量発生する時期だってある。もぞもぞと心をつたいながら、「ああ、また食べられていく」ような、感情をかじられていくような、うずき、かゆみ、無痛の痛み。傷跡はどこまでも深い。芋虫の色、形、大きさ、数・・・たぶん人の数だけやつらもいるはず。そして必ず、気が付いたらいなくなってる。たぶんうつになっちゃったときは、心の中に芋虫がいっぱいいるんだと思う。最上級にグロテスクなやつがいっぱい。んで「もうつらい」なんて、散々食い散らかしてくれてぼろぼろになるけど、じつは彼らはマイナスの感情を食べてくれてるんだよね。だから元気なときは心が軽い。どす黒い感情を食べてくれた彼らが成長して、ちょうちょになって飛んでいくから。だからそうなんじゃない今は、そんな時期なんだって。だからカーテンがゆれたのは見間違いじゃない。きっとちょうちょが一匹飛んでいったんだ。 [0回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword